November 19, 2017

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  • 小池百合子都知事による外国特派員協会での記者会見:都政の現状と将来の展望

    以下は2017年8月3日に外国特派員協会で行われた小池百合子都知事による記者会見です。前半部分のスピーチは英語で翻訳されませんでした。また下線部分は翻訳されなかったのでJapanese Perspectiveが翻訳しました。この記者会見のYoutube Videoの名前はYuriko Koike:The state of the governor's administration and what lies ahead です。 質疑応答 シンガポールビジネスタイムズのアントニー・ローリーです。私は知事が東京の世界の金融の中心としての役割を強化することに高い優先順位を置いていらっしゃることを知っています。そして知事が金融関係の共同体の代表者達と多くの会議を開かれたとも私は知っています。その会議をしたことに基づいて、東京が国際的金融の中心地となるための原則またそうなることを防いでいるとなっている主な障壁は何ですか?英語またはその他の外国語の能力は東京が国際的金融の中心地となるためにどれくらい重要ですか? 知事:はい。御質問に日本語で答えさせて下さい。日本における国際金融都市の再活性化の問題点は何かという御質問でございました。いくつかあるかと思います。まずは日本語バリアがあるという言語のバリアがあるということ、それから2つ目こちらが大きいかと思いますけれども、法人税が高いということ、それから相続税に対しても改正が行われましたけれども、まだ十分でないという声が大きいということ、それから後、生活環境についてはインターナショナルスクールを虎ノ門などとか、虎ノ門や八重洲などで今準備をしているところであります。また聖路加St.Luke's Hospital などを通じて多言語による診療を受けられるというこのような準備をしています。その中で日本語ばかりではないかという御指摘がしばしばありますけれども、それについてはサイネージなどは多言語化をして参ります。と同時に例えばミャンマーからのお客様とかウズベキスタンからのお客様とかもうたくさんいらっしゃる。その言語を一つ一つ対応することはできない、まあ不可能でございますので、これは解決してくれるのはITだと思います。スマートフォンなどにアプリケーションをこの紹介をするもしくはナビゲーションのアプリケーションが他言語で表示されるといったような形でこの言葉の問題をナビゲーションしていくということは、可能だと思っています。しかしまあ何よりも東京が魅力的なのはこうやって人混みがあって、そしてそのごちゃごちゃしているところが逆に魅力だと思いますし、何よりもやっぱり世界中で一番美味しいお寿司が食べられるのは東京ではないかと思っています。あのシンガポールからも是非多くの皆さん東京にいらして頂きたいと思います。 AFP通信のウルスラ・イジーです。私の質問はオリンピックについてです。東京の次のオリンピックの開催地はパリだと言われています。そのことについて短く意見を頂けますか?オリンピックを(東京から)引き継ぐ都市としてのパリにどのようにアドバイスされますか?東京でオリンピックの準備は順調に進んでいますが、準備をするにあたってどのような経験をされましたか?リオオリンピックの結果から何を学びましたか?どうやってコストを抑え、どのように都市を障害者にアクセサブルにしますか?私はパリはこういったことについて問題があると思います。 知事:まず2024年にパリでの開催が事実上決まったということで、パリの皆さん、フランスの皆さんにはおめでとうございますと申し上げたいと思います。そしてまた今東京はまさしく準備の最中でありますけれども、2020年の大会に向けて準備の最中でありますが新設会場の建設もこれから佳境に入るところでございます。私が聞くところによるとパリは多くの会場は既にある既設の会場をお使いになるということでそれは大変正しい判断だと思います。そしてそれによって経費を削減するということはこの・・・その終わった、大会が終わった後の経費をかけないで済むという意味で大変賢いワイズスペンディングになると思います。東京の場合新しい会場を作ることと致しましたが、やはりそこはその新しい会場をその後どうやって使うかと言うその2020年後の大会後のことまでしっかり考えなければいけない。それはリオやその他のいくつかのホストシティで見られている様々な例があるわけで、その例から色んなモデル、ケースから学んでいかなければならないと思っております。ですから東京としてもいくつか新しい大会会場つくりますけれども、それを例えばネーミングライツやまたコンセッション方式などによって運営を民間に任せるという形でより使い方、活用の仕方がワイズになるように工夫するところであります。それからパリについては丁度クーベルタン男爵生誕百年にあたる年かと、2024年が。そういう年、記念すべき年に開催をされるというのは二重の喜びだろうと思います。パリが今東京も準備をしていますけれども、やはり安全な都市であると言うことをしっかり重ねて行く。その努力は東京にとってもパリにとっても必要なことだろうとこのように考えております。 知事:付け加えてもよろしいですか? 障害を抱えた方々へのアクセシビリティの確保はとても重要なことだと思います。先ほど申し上げたように私はパラリンピックを基本に大会を成功させたいと考えているそれはやはり日本のそして東京のこれからの高齢化を考えるとwheel chair (車いす)を使う人、杖をつく人などが増えることはもう明らかですので、パラリンピックの準備をするということは東京の高齢化に備えるという意味でもあります。パリの場合も是非このとてもまちがもう何世紀も完成して出来上がっているがゆえにですね、むしろ新しい部分を付け加えるのは難しいときもあろうかと思いますけれども、やはりこれから都市というのはエイジングしていくというのは共通。都市の高齢化ということはこれから先進国は真剣に考えなければならない問題だと思っています。東京はその意味で障害のある人にも優しいまちづくりということをものをパラリンピック大会への準備を機会に整えていきたいと思っております。 司会:リチャード。渡辺。あなた。あなた。質問は手短かに御願いします。 リチャード・スシロ氏:知事先週あなたは知事に会いました・・・。 司会:名前。 スシロ:何ですか? 司会:あなたの名前。 スシロ:おー。すいません。私の名前はリチャード・スシロです。インドネシア出身です。先週知事はジャカルタの知事(ジャカルタ特別市次期知事に都庁で)に会ったと思います。その後私はあなたのオフィスがある東京都庁の周りを歩いていたらとても興味深いものを見つけました。とてもビックリするものです。あなたのオフィスのとても近くに新宿中央公園と献血、都民ホールがあってとても小さな通りがあって、橋があります。この辺りにたくさんのホームレスがいます。私はホームレスに聞いてみたところ、2、3ヶ月ではなくて何年も前からそこにいるそうです。私はどうしてこんなことが起きるんだろうと思ったんです。あなたのオフィスにとても近くに。この問題を解決したいと思いますか?ありがとうございました。 知事:はい。新宿のホームレスの方は何人かだいたい決まった場所におられます。雨露をしのげて、そしてそこで長きにわたっていらっしゃる方もおられるということであります。対策については東京都を始めとするまあ生活の支援などもしているところでありますけれども、まあこういった方々その他の国と比較すればかなり少ないとは思いますけれども、その方がいらっしゃることは認識をしております。しっかりとした対策をとっていきたいと思っています。 HKW渡辺晴子氏: カルドンありがとう。私達の小池知事。HKWメディアレポートの渡辺晴子です。小池知事おめでとうございます。東京の女性と男性の過半数は知事のことをとても誇りに思っていると思います。そしてとても喜んでいると思います。しかし残念ながら40名ほどの女性とその親戚はとても不幸です。なぜなら彼女達は築地に残りたいからです。彼女達は築地女将さん会を組織して築地から豊洲への移転に反対運動をしています。彼女達は世界中の人が築地に来て見るものは駐車場だけだと言いました。彼女達はこのことをとても悲しんでいます。知事もしくは東京都はどうやって女将さん達が納得して豊洲に移転できるように説得されますか?ありがとうございました。 知事:ありがとうございます。豊洲の移転ということを様々な環境調査を経たそしてまたこれからの追加対策をした上で、豊洲への移転ということろ決めたところでございます。そしてその後は駐車場、これは2020年の東京大会に約4000台近い車を置く場所として活用する。そしてまた選手村と市の中心、東京の中心部を結ぶ道路を建築をするということでまずは築地から豊洲へ移転して頂くということで御協力を願っているところでございます。あの一度は移転を決めたわけでございまして、安全を確認する為に時間がかかりましたけれども、しかし今回移転をしていただくということでございます。まあイデオロギーの問題もあるかもしてませんけれども、多くの方々はやはり築地に愛着がある。この築地へのレガシー、築地の持つレガシーをきちんと生かしていくというのも今後の再開発には必要なテーマだと思っています。築地が普通のまちになっても誰も喜びません。普通のビル街になっても普通のマンションになってもこれは築地が持つこれまでの歴史をこれをゼロにしてしまう。私はそれはもったいない話だと思っております。ですからまずそのためにも豊洲へ一旦御移り頂かなければ、今のネズミが走る、そしてその80年前の建物がこの残るという中においてその中で工事を行うというのは物理的には難しいということでございますので、また新しい築地の歴史を築くためにも御協力を頂きたいとこう思っています。 山岡氏:日本語で失礼致します。私はたまに脊髄損傷者のニュースにリポートを書いたりとか、あと映画などをとったり。…

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  • 渡辺謙氏不倫報道についての記者会見

    −−−−じゃあ、謙さんの方から一言。 あっあのー。お休みの中、非常に暑い中私事のご報告の為に、お集まり頂いたことを非常に恐縮に思っております。 本来でしたらば、記事が出てすぐにでも皆様の前でお話しをするべきだったのかもしれないですけれども、まず僕自身がきちっと事態を把握すること、そしてもちろん妻のことがありましたので、すこし冷静な時間が必要だったこと、さらにはその時オファーを受けていたいくつかの仕事がございましたので、その仕事が今後どうなっていくかということをきちんと対処させて行く中で、少しこうやってお時間を頂くことになってしまいました。 この春に出ました記事に関しては大旨事実でございます。本当に私の軽率な不甲斐ない行動が、今までたくさん応援してくださった方々をご心配をおかけしてしまったこと。またあの僕に仕事を託して下さった関係各位の皆様にも本当に多大なご迷惑、ご心配をおかけしたことをこの場をお借りして、本当に申し訳なく思っています。お詫び申し上げます。おかげさまというか何よりも妻に本当に苦しい、悲しい思いをさせてしまったことは申し訳なく思っています。きちんと謝罪をして、ことがことなので少し時間をかけながら、ゆっくりと軌道修正を計っているところでございます。妻も無事に仕事をさせて頂くようになりましたし、私も今後アメリカに渡って新作の映画を撮影するという段取りでございます。あと秋からNHKの大きなドラマにも出演が決まっておりますので、まあ本当にこんな男ではございますけれども、もう少し応援してやってもいいかなとそういう方もいれば、もうちょっと自分を見つめ直して俳優と言う仕事の中で自分が何ができるか、前に進んで行きたいと思っていますので、よろしくお願いします。 謙さんがお付き合いがあった女性とはいつ頃知り合ってどういうお付き合いだったのでしょうか? 僕が大阪で舞台をやっていた時に知り合いが見に来て下さいまして、ご一緒に食事を下と言うのが発端なんですけれども、基本的に先方も一般の方でございますので、できればプライベートなことに関してはお答えを控えさせて頂きたいと思っています。 お付き合いは3年半ほどと報じられました。この点については。 これも詳しくお話しすると言う程のことではないんですけれども、ずっと続いていたと言うわけではなくて、その間も何回もアメリカで仕事をしていましたし、僕の中の決断と言うかそういうものがつかずに、 ----このような報道があってから相手の女性とは、何かお話し合いはあったんでしょうか? はい。もちろん先方にも御迷惑をかけてしまったので、きちんとお話をして関係を解消致しました。 ---謙さんの中ではその女性とは一時期お付き合いがあったというふうな認識でよろしいんでしょうか? はい。 −---今はもう別れたということ。 そうですね。 --−報道があった後でお別れになったということですか? そういうことになります。 ---—女性はその辺は了解したと言うか まあ、あのう、そういうことになりますね、もちろん僕が仕事をしていく、僕が俳優として生きて行くということを、第一に思って下さってましたけど、その方はきちんと理解をして頂いたと思っています。 ---—プライベートな写真が出たということに関して、その相手の女性とは何かお話になりましたか? あー。いやー。まあ、あのう世の中で、色々言われていることではありますけれども、先方ではないというふうに僕は思っていますし、はい。 −−−なぜ謙さんはその女性を求めてしまったんでしょうか。 本当にそれに関しては先ほどもお話ししましたように、非常にプライベートなことになってしまいますので、その辺はお許し頂けたらと思います。 −−−−奥様は随分心配ショックを受けたと思います。 はい。 −−−−−どういうお話をされたんでしょうか?最初はすごくショックが大きかったので、あのーなかなかどうしていくかということに関しては、時間がかかったんですけれども、まあ時間がたって落ち着いて来た時に、もちろんきちんと謝罪はしたんですけれども、こんなことでね、あなたが築いてきたというか、積み重ねて来たものが消えるわけではないから、がんばってねというふうには言ってくれました。 −−−−最初は電話か何かですか?それからお会いして、奥様には。 あのーメキシコの撮影が終わって、ロスに戻って来た時にですね、週刊誌の方から、お手紙が家に投函されていまして、その中で知ったということですね。 −−−−−今は夫婦仲は持ちこたえていると言うことなんでしょうか? これは僕の方でどうこう言える立場ではないので、本当に丁寧に時間をかけながら、軌道修正をしなければいけないなというふうに思います。 −−−−−ただ自宅の方にはお帰りになっているんですか? これはあのう、すぐには戻れないでしょう。 いやまあきちんと。少し冷静になる時間も必要だったということもありますし、まあ以前から仕事の準備で一人で山小屋に、準備をするということがありましたし、あのーまあ内々ではありましたけれども、NHKの準備の為に鹿児島に一人で取材旅行に行ったりとか、馬に乗りに行ったりとか次作のハリウッド映画の為に、_____と一緒にトレーニングをしたりとか、パソコンを通じてですけれども、台詞を覚えたりとか体作りをしたりとか、まあそういうことは今まで同じように山小屋ではやらせて頂いております。ただあのー連絡は取り合っていますし、あのー彼女は時間が空けば、訪ねてきたりもしましたし、僕が必要な荷物があったら、宅急便で送ってくれたりしました。 −−−−謙さんの荷物どこかへ送られてしまった? 叩き出されたとかね、そんなことは全くなくてですね、普通に宅配便で送って頂きました。まあ仕事が多分あったので、アシスタントの子か家の者に頼んだと思います。 −−−−−奥さんとは十分に話し合いができたと思っていますか?…

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  • デビッドケイ国連特別報告者による講演会

    司会進行 伊藤和子氏:はい。皆様それでは定刻になりましたので、始めさせて頂きたいと思います。本日は急な呼びかけにも関わらず、国会議員の先生方そして市民の皆様お集り頂きましてありがとうございます。本日の主催団体であるヒューマンライツナウの事務局長の伊藤と申します。司会をさせて頂きますので最後までよろしく御願いします。それではデビッドケイさんを紹介させて頂きます。国連特別報告者として表現の自由に関してマンデイト(mandate)に取り組んでいらっしゃいます。日本に関する報告というのを来週6月に行われます理事会に提出されました。この報告書は昨年4月の公式訪問の際にデビッドケイさんが調査をされ、今まで調査された結果を国連人権委員会に提出されたというものです。既に報告書ですね、ウェブサイト国連のホームページにもアップされていますので、その内容についても少しお話させて頂ければと思っています。また本日この間ですね、日本の特別報告者制度というものにつきまして非常に誤った誤解などが生まれています。本日は特別報告者であるケイさんに特別報告者制度とは何かそしてどのような仕事をしているのか、そういったことについても正しい理解を日本の中に広めたいということで、その点についてもお話をして頂きたいと思っております。それでは、これから20分くらいケイさんにお話を頂いて、その後に来て頂いた国会議員の先生、市民の皆様、メディアの皆様からの質問を受け付けたいという風に思っています。それではデビッドケイさんにお話を頂きたいと思いますのでよろしくお願いします。

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  • 自主避難者及び放射能測定についての記者会見

    以下は 2017年1月27日の外国人特派員協会の記者会見の書き起こしです。この記者会見のYoutube ビデオの名前はMatsumoto, Ishimaru & Yoshida: "Fukushima Voluntary Evacuees on Verge of Losing Homes"です。検索しても出てこない場合は、Kumamoto, Murata & Nakate: "Fukushima Evacuees Face New Hardship Six Years On"で検索すると左側に次の動画として出て来ます。 司会:この記者会見を始めたいと思います。私の名前はイアントーマスアッシュです。私は外国人特派員協会の会員で、ドキュメンタリー映画の制作者です。私は福島の映画を二本制作しました。放射能によって汚染された地域に住んでいる子供についての映画です。私は本日の司会を務めさせて頂き、光栄です。時間があまりないので、本日のスピーカーに早速自己紹介をして頂きましょう。初めに、本を出版されている吉田千亜さんに自己紹介をして頂きます。お願い致します。 吉田千亜氏のスピーチ。 私は原発事故の取材を続けているライターの吉田千亜と申します。去年2016年の2月にルポ母子避難という岩波新書から本を書かせて頂きました。今日は区域外避難者の方のお話をさせて頂きます。 私の方から区域外避難者の差し迫った窮状についてお話致します。この区域外避難者は政府によって放射能汚染の被害を矮小化された為に、必要のなかった避難として歴史から消されゆく人々です。福島県だけではなく、福島県外、関東圏からの避難者も多くいますが、政府はその正確な数字を把握していません。あと2ヶ月、2017年3月末を持って福島県からの区域外避難者26601人が、今住んでる住宅から追い出されます。昨年11月のアンケートによると、そのうちのおよそ70%の人、単純計算で18000人以上の人が4月以降にどこに住むかが決まっていない状態です。最初に住まいを追われる区域外避難者について説明します。原発の事故後政府は年間20ミリシーベルト以上の地域には避難指示を出しましたが、20ミリシーベルト以下の地域には避難の指示を出しませんでした。政府は3.8マイクロシーベルト毎時まで、小学校の校庭を利用してもいいと許可をしました。その数値は、原発事故前の約127倍の数値に当たります。当然子供にそんな高い放射線量を許容させたくないという保護者は、子供を連れて避難することを決めました。その人々を区域外避難者と言います。区域外避難者はこのスライドにあるような方々です。 政府によって被害が矮小化され、年間20ミリシーベルト以下の場所は放射能汚染の被害が無かったかのように扱われました。そのため東京電力による定期的な賠償もなく、唯一避難住宅が提供されていたのです。日本人も区域外避難者に賠償があるという勘違いをしています。子供を被爆からできるだけ遠ざけたいという思いで避難をしている人達ですが、賠償がないため、夫は避難をせずに被災地に残って仕事を続け、母と子供だけで避難しているいわゆる母子避難世帯も多くいます。 その区域外避難者の方達はこの5年10ヶ月、何とか避難生活を過ごしてきましたが、今、二つのいずれかの選択を強要されています。一つは強制的な帰還。望まない被爆を強いられる。あるいは家賃を負担することになるという生活困窮というものです。 良く政府は住んでいる人がいるのだから戻ることができないだろうと言うロジックで、区域外避難者の方達を追いつめます。確かに住んでいる方は、いらっしゃるのですが、その中にも、その人々の中にも放射能汚染の被害と隣り合わせで、悩みながら暮らし、何とか子供を被爆から守りたいと思っている母親がたくさんいます。そういった方達と一緒に私は通学路の測定を行ったりしていますが、スライドの方にあるように、例えばそういったホットスポットの中には、事故前の236倍もの数値が発見されたこともあります。しかもこれは事故後の数値ではなく、事故から3年以上経ったときのものです。 良く政府は住んでいる人がいるのだから戻ることができないだろうと言うロジックで、区域外避難者の方達を追いつめます。確かに住んでいる方は、いらっしゃるのですが、その中にも、その人々の中にも放射能汚染の被害と隣り合わせで、悩みながら暮らし、何とか子供を被爆から守りたいと思っている母親がたくさんいます。そういった方達と一緒に私は通学路の測定を行ったりしていますが、スライドの方にあるように、例えばそういったホットスポットの中には、事故前の236倍もの数値が発見されたこともあります。しかもこれは事故後の数値ではなく、事故から3年以上経ったときのものです。本来向き合うべき放射能汚染はなかったことにされて、行政によって細かく測定されているわけでもありません。なぜこのようなホットスポットが残るのかは、この後に石丸偉丈さんの方からも説明してもらいます。 そういった地域から避難している区域外避難者の方達には特有な被害があります。精神的な負担、経済的な負担です。精神的な負担としては、例えば国が大丈夫だと言っているのに、なぜ避難するのか。ここに避難している理由を全方位の人に説明しなければならない理不尽さを抱えています。また離婚問題、いじめ問題、それからたった一人で子育てをしなくてはならないという孤独を抱える人、そういった精神的な負担から私が出会った区域外避難者の特に母子避難の母親は、突発性難聴、不妊、円形脱毛症、不眠、鬱などが現れていました。もう一つの経済的な負担としては、やはり賠償がない中での避難生活、貯金を切り崩し、保険を解約し、自分の親に借金をして引っ越し費用もままならないという方もいます。そういった人達にとって住宅の供与は命綱でした。その命綱が断ち切られる人達が1万8000人以上いる中、その被害はオリンピック、絆、復興といった希望を表現するスローガンで隠されています。東京オリンピックが開かれるここ東京都にも区域外避難者は推定で2000人程はいて、その人達の中にも未だに次の住まいが見つからずに、不安を抱えて過ごしている方がいます。子供と一緒に路上生活をするしかない、子供を殺して自分も死のうと思った、避難生活のなかで今が一番辛い。次の住宅の手続きをしたくても書類を書く為に布団から出ることもできないという方もいます。次にお話をして下さる松本のり子さんもその区域外避難者のお一人です。こういった場で発言したくても、放射能汚染の被害や事実を語ることで、復興の妨げになる、裏切り者と言われることもあり、なかなかできないという人がいる中、勇気を出して発信して下さいます。このまま絶望する人が一人も出ないように、国と事故の加害者である東京電力に早急な対応を求めるとともに、多くの人に関心を持って頂いて考えて頂きたいと願っています。 司会:質問の時間を最大限取る為に、一人のスピーカーの持ち時間は10分となっています。最後の質問の時間を楽しみにお待ち下さい。(吉田さんに対して)お話をシェアして下さってありがとうございました。それでは次に松本さんにお話をして頂きましょう。…

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  • 福島の語り部、青木淑子氏による外国特派員協会での記者会見

    語り継ぐべき話がある。あの日起きたこと。失ったもの。変わり果てた故郷・・・。青木淑子さんは福島県の富岡町語り部の会の代表です。語り部の会は震災から2年後に、その惨禍を風化させないために発足されました。現在19人の語り部が会に所属し、一番若い語り部は20歳の女性で、当時高校生で、震災で両親を亡くしました。 青木さんは日本国内だけではなく、フランス、スイス、イギリス等の外国でも講演をされています。 青木さんのお話には、昔話や詩のような響きがあります。語り部の話が福島の子々孫々に語り継がれることを予感させます。そして、この話が日本の昔話の一つになるころ、その話を聞いた子供が、昔は大変なことがあったけど、今は安全でよかったと思える未来であって欲しいと願います。 参考資料 http://ki-zu-na.org/modules/tinyd2/index.php?id=59 司会(イアントーマスアッシュ):記者会見を始めたいと思います。今日の記者会見には福島の語り部の青木淑子さんにお越し頂いています。プレスリリースには書いていないことを少しお話したいと思います。青木さんは郡山市の出身で2004年から2008年まで富岡高校の校長先生をしていました。青木さんはスイスや(イギリスの)ウェールズなど世界中の様々な場所を旅をして、語り部としての活動の話をしています。今日は、青木さんは日本人の皆さんに語り部についての活動についてお話をして頂きます。それでは早速、青木さんにお話して頂きましょう。お願い致します。 以下青木淑子氏によるスピーチ。 皆さんこんにちは。 私は青木淑子と言います。 郡山に住んでいます。 郡山。この福島の地図。 福島の地図のちょうど真ん中。 漢字なので分からないかもしれないです。 今日は郡山から来ました。 今紹介して頂いたようにの語り部の活動をしています。 今日は、限られた時間ですので、本当に話したいことの全てはなかなか難しいかもしれませんが、頑張って話をしていきたいと思います。 始めにお断りしておきますが、私は政治家でも、思想家でも、学者でもありません。 学校の教員で校長をしておりましたけれども、一庶民として、その目線で見て来たことをお話をしていきたいと思っています。 2011年3月11日、私は郡山市にいました。 地図のちょうどここです。 3月16日、避難をして来た富岡町の人達の避難所に駆けつけました。 富岡はここです。 郡山から90キロ離れています。 その避難所に駆けつけた日から、震災後、避難生活を送る人達の生活、復興の支援をして来ました。 一人、一人の町民の暮らし、思いを語り伝えることを大切に活動しています。 私の話は福島県双葉郡富岡町の課題です。 一つの町の話ですけど、それは今の福島全てに通じる話だと認識しています。 それでは、お話をしていきますね。 2011年3月11日、2時46分、震度6強の地震、そして21メートルの津波に襲われました。 津波の写真です。 富岡町をちょうど襲って来た津波です。 波の高さは21メートルありました。 その後、福島原発の爆発事故により、現在でも約8万人の人間が避難生活を続けております。 富岡町の1万5000人の町民は、日本全国に散らばり、6年間誰1人町で暮らすことはできていない状態です。 2011年3月12日の早朝、全町避難の指示を受け、町民は町を出ました。みんなすぐに帰れると思って、車で町を出ました。 全部を置いて避難しました。…

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  • 籠池泰典氏による外国人特派員協会での記者会見

    下は籠池泰典氏による3月23日の夜(午後6時20分くらいから開始)に外国人特派員協会で行われた記者会見の書きお越しです。この記者会見のYoutube Videoは、“Yasunori Kagoike: Moritomo Gakuen President.” 下線部分は翻訳がなかったのでJapanese Perspectiveによる翻訳です。 以下敬称略。 司会(アンディ・シャープ):みなさんこんばんは。記者会見にお越し頂きまして、誠にありがとうございます。本日、長い間国会で答弁をなさった 、森友、籠池理事長は疲れていらっしゃるのではないかと思いますので、わざわざここに足を運んで頂きまして、誠にありがとうございます。 司会:本日国会で証人喚問として、出頭し、安倍昭恵、総理大臣夫人から100万円が入っている封筒を直に受け取ったという風に証言をいたしました。それは2015年9月に塚本幼稚園に訪れた際のことだと証言しました。 司会:本日、菅官房長官は、この事実を否定し、安倍首相、そして昭恵夫人、第三者を通じても何らかの金の受理はありませんでしたとはっきり言いました。 司会:記者会見の始まりに、冒頭に三つの書類を提出する予定だったのですけども、実は一つに絞りたいと思います。その一つはFAXになりまして、昭恵夫人の秘書から籠池理事長宛のものです。 司会:一つの資料においては、個人情報が入っておりましたので、それを是非回収したいと思います。もし、受け取ってしまった場合は、それを無視して頂きたいと思います。破棄して頂きたいと思います。 司会:まず登壇者を紹介したいと思います。(籠池氏の弁護士)中森麻由子様、そして荻上守生さん、そして山口貴士さん。 司会:そして通訳のマットダグラスとメリージョイスです。 司会:特派員協会の理事長であるアズハリさん。失礼しました会長です。 司会:それでは早速、籠池さんにマイクを渡したいと思いますけれども、冒頭に10分間くらいのスピーチをお願いしたいと思います。 司会:お願いします。 籠池:はい。皆さんこんばんは。今日私は、国会の方で、衆参両院の聴聞会に出て参りました。たくさんの与党野党の先生方から、質問を受けさせて頂いて、できるだけ、誠実にお答え申し上げたつもりでありますが、私自身のまだ記憶の不確かさもありまして、自分でも、あそこはどうやったかなというふうな思ってる部分も多少あります。 籠池:この事柄というのが、2月の8日に勃発しまして、それからもう既に1月半ぐらいを経っております。 籠池:大阪の片田舎の豊中という土地の一小学校の事柄で、全国でひと月半も、全国中のテレビ、マスコミが追いかけてくるという事件という風になってしまいました。 籠池:このことは今日本人の大多数が持っておりますところの、閉塞感、何か圧迫した窮屈なような状態、これ、このことがら窮屈な状態があるんですが、私が今からお話ししようとする事柄については、その窮屈であるという根源がここにあるのではないかな、という風に思っております。 籠池:日本語で言うとわけが分からんことが起こっているなということであります。 籠池:はい。ではそのことについて、国会の方でまず陳述を致しました内容のことを読まして頂きながら、また考えていきたいと思います。では。 籠池:私は真に日本国のためになる為、日本国のためになる子供を育てたいという教育者としての思いから、今年の4月にみずほの国記念小學院を開校できるようこれまで頑張って参りました。 籠池:教育者としての私の思いにつきまして、安倍首相や昭恵夫人、大阪府議会の先生方をはじめ、多くの関係者の皆さんにご理解頂きましたことは、今でも本当に感謝しております。 籠池:その一方で多くの皆様のご期待を受けて、舞い上がっていたところも私の中にございました。 籠池:結果として手続き上の便宜から、設計士の助言に従って、工事請け負い契約書が三種類作成されたこと、 籠池:幼児教育の現場において指導の行き過ぎなど諸々の不行き届きを生じてしまいました。 籠池:それらの不行き届きについては、自分の至らなさを認めますとともに、反省すべき点については反省し、謝りたいと思います。 籠池:今後は行政の御指導を頂きながら、適切に改善を行って参ります。 籠池:しかし現在この新しい小学校を開設する手続きについて、各方面から疑問が呈される中で、弁護士からの指示で、申請を取り下げました。 籠池:これまで応援していてくれていたと思っていた方々が、手の平を返すように離れていくのを目の当たりにして、自分自身どうしてこうなってしまったんだろうという思いもあります。…

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  • Kusmi Tea

    A prominent French tea maker, Kusmi Tea, is opening a store temporarily at Tokyo Midtown Mall from March 16th to April 9th.

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  • 三人の避難者団体代表による外国人特派員協会での記者会見

    3月9日に3人の避難者団体代表が原発の避難者が置かれている悲惨な状況について、外国人特派員協会で記者会見を開きました。この3人は熊本美彌子氏(原発事故被害者団体連絡会、幹事)、村田弘氏( 原発被害者訴訟原発団全国連絡会 共同代表)、中手聖一氏(「避難の権利」を求める全国避難者の会、共同代表)です。3人は、全ての避難者を代表して、様々な問題について語りました。 熊本氏は6年が経とうとしているのに、現在も8万人が避難生活をしていると報告しました。そして8万人の避難者のうち、およそ3万2千人が政府の指定した避難区域外からの自主避難者、であると述べました。また熊本氏は、およそ3万2千人の住宅の無償提供が3月末に終わる予定であり、そしてこのことは、自主避難者を福島に帰るか、困窮かの難しい選択を強いると語りました。熊本氏はこのことは、母子家庭に特に大きなダメージを与えることになると言いました。 村上氏は、2020年の東京オリンピックが近づくにつれ、原子力発電所の事故の被害者がいなくなっているという印象を国際社会に与えようと努力していると述べました。彼は被災者にとっての最大の悲劇は、被災者の味方になるべき福島県知事が政府と同じことをより熱心にしていることだと述べました。 中手氏は政府は原発の事故の被害を矮小化していると批判しました。また中手氏は政府は、事故は収束したと、避難者はいなくなったと宣伝しようとしているが、これは事実に反すると述べました。 この記者会見のYoutube ビデオのタイトルはKumamoto, Murata & Nakate: "Fukushima Evacuees Face New Hardship Six Years On"です。 以下敬称略 熊本 美彌子 (原発事故被害者団体連絡会) 4:40− 私は熊本美彌子と申します。私は今私たち避難者が置かれている実情についてお話しをしたいと思います。 現在も避難生活をしている被難者というのは、約8万人います。 現在避難指示の解除、それから損害賠償の1年後の打ち切り、それから3月末、この3月末で、住宅の無償提供が終わると、打ち切られるという、そういう状態の中に置かれております。 8万人のうちの3万2300というのが、この3月で住宅の無償提供が打ち切られる世帯の数です。あっごめんなさい。避難者の数です。 その多くは放射能の健康被害を恐れて母親と子供だけで避難した母子世帯、それと親戚だとか、知り合いを頼って避難した年寄りです。 これらの人々というのは、日本政府による避難指示区域外からの避難者である為に、自主避難者と呼ばれています。その人達に対する賠償というのは非常に少なく、避難生活を支える唯一の命綱である住宅の提供を打ち切られることによって、帰還か困窮かの二者択一を迫られております。 避難者への住宅の提供というのは、災害救助法に基づくものです。原発事故の避難者というのは、全国に及びました。公営住宅を提供しているのは避難先の自治体です。しかし、この住宅の提供の継続を決めるのは福島県であるという通達が、2013年4月になされました。 2015年の6月15日に福島県知事が2017年3月末で、区域外避難者への住宅の無償提供を打ち切るという方針を発表しました。 その後になって福島県は去年の1月ですが、住まいに関する移行調査というのを実施しました。対象となる世帯は1万2436世帯、回答は7067世帯、でうち県外が3453世帯です。そのうちの77.7%が2017年4月からの住まいは決まっていないという風に答えました。 私達被害者の団体は、住宅の無償提供を継続、それから一人も路頭に迷わせないということで、福島県や避難先自治体、国と交渉を続けて来ましたけれども、何らそれが実現することなく、現在を迎えてしまいました。 今、避難者はただ一つの支援策である、住宅の無償提供が打ち切られる状態になっていて、母子世帯は非常に困惑しております。…

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